アフマドの死後
大いなる宝
私は臨終の床で、私の家族が見守っています。
お父さん、お爺ちゃん、あなた、親方。
皆私のことを呼んでいます。
全部私の事です。
すでに、わたしはぼんやりとしていて、意識しかありません。
(その部屋全体を上から私は眺めています)
でも、身体の中にいる私は、ぼんやりしているわけではなく、
どちらかというと、若い時よりも活力にあふれ、意識はとても明瞭でした。
えーと、お前は誰じゃったかなぁ・・・
私の孫の名前が思い出せませんが、まぁ、いい。
そんなことは、まぁ、たいしたことじゃない。
初めて航海に出た時のことや、嵐で死ぬような思いをしたこと。
とても厳しかった親方のこと、私はそんなことを思っていました。
私はとても、満ち足りていて、最上の幸福、至福の時だと感じています。
そして、なぜかはわかりませんが無性に笑いが止まりません。
本当に、たったいま、自分自身が神の元に召されるということが、
なんだか、嬉しくって、可笑しいのです。
アメリカでのあの人生を知っているはずないのに、
「ああ、あの時と一緒だ。」とも思っています。
死ぬこと。
天に召されること。
それは、グレイト・ハッピー!なのです。
なんて、ハッピーなんだ!
わたしは光に包まれ、
光になります。
そうして、その後、
わたしはあのポートにいます。
あの黄金の都です。
彼の方が来ます。
いと尊きお方。
それが、彼だとわかると、
私は可笑しくって仕方がありません。
私たちは、互いに指を指しあって笑います。
そのうちにガハガハという笑になります。
二人とも酔ったおじさんのようです。
「ああ、あなたはまたいつものあれをやってるですか!」
「そう。わかってるじゃないか!。この方が面白いからなぁ!」
そんな感じです。
いつもいつも、本当に彼は楽しい方です。
なんでそんなことになったのかといえば、
彼は、死んだときの私の恰好をして、まるで写しのパントマイムのように現れたのです。
まぁ、それが彼の流儀ですからね。
そもそもわたしは金や、銀、
宝石とか沢山所有していましたが、
そういう眼にみえる富に対する執着など、ほとんどないのです。
そんなことよりも、ベストに焼けた香ばしいナーンが食いたいとか、
旨いチーズや、好物のフライドチキン。
薫り高いお茶や、タバコの方がずっといいのです。
人生の経験。
それそのものが宝石。
富なのです。
そのことを知っているのです。
経験こそが、宝物。
総じて、この人生は成功だったという気がします。
大いなる豊かさを、手に入れることができました。
とはいえ、成功、失敗の感覚は少し違いますね。
私たちが思うような、そういう限定されたものでは、全く推し量れない気がします。
人生の成功、失敗した人生。
そもそもそんなものはないのです。
残るのは経験。
魂に刻まれる、大いなる経験。
大いなる成功も、また、大いなる失敗も共に大成功!なのです。
そのことをよく味わった人生だったのだと思います。
そうして、私がこの人生で体験したことの全てが光の粒子となって、
私の中に取り込まれて行きます。
この時も、僕は魂の繋がりのある友と一緒に歩む人生を選びませんでした。
ここ人生においても、僕は今生での知った人とは出会ってはいないと思います。
関わり合いはあったのかもしれませんが、
見た限りそうした人は居ませんでした。
眼差しでわかります。
ここに彼らはいるからです。
ここに。
この世界は、いわゆるソウルメイトとか、魂の家族といわれる魂たちのいる世界。
原初の世界。
霊界。
天国。
天上の世界。
神の王国。
いろいろな言い方があります。
ですから、その時の多少の心残りとしては、
魂の友と出会う旅をする。そういう人生も悪くない。
それもまた、良きこと。
ということです。
そしてこの人生を通して、今生での僕に言えることは、とても明確で簡単なものです。
エンジョイ! (Enjoy!)
これだけです。
アフマドがそう僕に言います。
なんて、簡単!(簡単なのに難しい)
その、やり方も、お前は全て知ってるはずなのだ!
じゃぁ、具体的にはどうするかといえば、
食事を楽しむこと!
美味いものを食い。旨い酒を楽しむ。
友や家族とおしゃべりをし
歌を歌う。
美しい音楽!
芸術!
天と地の間全てにあるものを楽しむこと!
生きることを楽しむこと!
美しい女性と愛すること!
愛されること!
愛される人生こそ全て。
なんて、素晴らしいことないじゃないか!
あのテラスには、ご馳走が用意してあった気がします。
あのあと、酒盛りしたんだろうなぁ…
いい匂いがしてたからなぁ…